おっさんトモの、徒然日記

おっさんになった僕が、日常生活で感じていることや、身の回りの出来事、趣味のお話などをしていきます。

土曜日の夜中に、普段思っているけどなんとなく言いにくいこと

とてもお久しぶりです。どうも、おっさんトモです。

 

※今回の記事は、とても長いです。だらだらしています。内容もないです。

とてもつまらないので、読まないことをお勧めします。

 

なにかしなくてはと考えて早数年。今日もいつもの週末が終わっていきます。

数年前にバイクを手放して、ギターもあまり弾かなくなって、ただ歳だけがどんどん増えていきます。やりたいことが数えきれないほどあったあの頃が嘘みたいに、今はひたすら普通の生活を繰り返しています。

 

仕事が忙しいからかな。

 

実は充実していることに気づかないだけかな。

 

なにか、自分がいろいろなものから避けるように、忘れるように生きているような気がします。

先日、気分転換に釣りに行きました。イワシが5匹しか釣れず、散々な結果だったけど、少し昔の気持ちが戻ってきたような気がしました。

その夜、同居しているお義父さんに、「遊びなんてどうでもいいんだから、住まわせてもらってる家なんだから草とりとかするべきだよな」と言われてしまった。どうやらその日は暑い中、家の周りの草取りをしていたらしい。疲れてイライラしていたのだろう。

言い返すと面倒になるので、「おっしゃる通りです」とだけ言っておいた。

草取りをするなんて、何も言ってなかった癖に、たまに遊びに行くとこんなことを言われる。草取りするなら前もって言ってくれればいいのに、そういうのは言わずに、たまたま手伝えば何も言われないが、予定が合わなければ文句を言われる。気持ちはわかるが言い分はわからん。後で文句言うくらいなら、最初からそう言えばいいのに。まぁ、お義父さんがゴルフの時に自分が草むしりをしていたことなんてないから、言われても仕方ないのかもしれないけど。

 

また、休日に家から出る気がなくなるんだろうな、と自分の今後を変に客観的に予測する。平日、遠くまで通っているのは知っているから(片道2時間半かかる)、遅くまで寝ていてもあまり文句は言われない。それが自分の贅沢なのだろう。

だから、休日は家でこもって過ごすことが多い。妻がいるときは文句を言う暇も与えず出かけるから、それに付き合っている風を装って一緒に家をでる。

ここにきてから、こんな生活がもう4年くらい経つかな。

そんなことが結構頻繁に起こる。ここには書くことじゃないこともたくさん起こる。自分が言えば、誰かが傷つくのだろう。黙っているのは簡単だ。自分だけが我慢をすることは簡単だ。

 

それでも、何かをしたいとずっと思っている。何かを変えたい。何かを始めたいと思っている。ずっと思っている。

 

小さなことでもいい。ちょっとした事でもいい。少しだけお金をかけて、少しだけ贅沢なことがしたい。

息子が今年大学受験で、あと4年半(現役で行ってくれれば)耐えれば、我が家の氷河期も終わる。そうしたら、少しは余裕ができるし、時間やお金も自分にかけられるようになるかもしれない。その時はたぶん自分は38くらい。

その時まで、自分の何かしたいという気持ちが残っていてくれたら良いんだけど。

 

仕事も、どうなのだろう。自分は、車好きだから、自動車の開発の仕事をやってきている。給料はそれほど良くないけど、とても充実していると思っているし、やりがいも感じている。評価もされていると思う。ここ数か月なんて、ちょうど忙しい時期真っただ中で、夢中になっていろいろ忘れることができている。深夜残業もほとんどないし、休みもきちんととれる。長期休暇は12~14日くらいはあるし、まとまった時間は取りやすい環境ではある。周りの仲間や上司も意識が高くて、本当にいい人たちばかりで信頼できている。なにも文句がない職場だと思う。

ただ、これが一生続いていく仕事だというイメージが沸かない。本当にこれでいいのかなぁって気持ちがずっとあることはある。かといって、転職したいとか、ほかに何かやりたいことがあるわけでもない。なんとなく、この状況がダラーっと続いていく事に不安を感じている。

 

車好きだから、自分の好きな車に乗りたいし、自分のやりたいことに時間を使いたいんだけど、なかなか難しい。

 

こうやってだらだら書いていて思うのは、結構我慢しているんだなぁという事。世の中のお父さんはみんな少なからずこうなんでしょう。責任という目に見えない大きなものを抱えて生きてる。今思えば、今思えばね、自分にとっては、結構唐突だったかもしれない。散々自由に生きていた20代のあの時、10歳以上の妻と結婚して、高校生と、中学生に上がる前の子供たちの父親になって、少し後に妻が以前に建てていた二世帯住宅に入ることになって、この間まで反抗期の子供だった自分は急激に大人にならなくてはいけなかった。戸惑うことも、我慢をすればそれなりにうまくいった。

世の中のお父さん、お母さんは本当にすごいと思いますよ。自分の事を差し置いて、子供の事を第一に考えることが自然にできている。自分の分身だからね。自分の子供の幸せを追い求めることが自分の欲望を満たすことにも繋がるんでしょう。だから、自分がこんなことを書いている事自体、かなり甘えているんだなぁとも思うし、結婚を覚悟した時にすべてわかっていたこと、今さら悩むべきことじゃないという事もよくわかっているんですよね。

 

実際、子供たちには結構支えられていて、そりゃ、傷つくような言葉を投げられたこともあったけど、子供たちのためにしてやれることはなんだってしてやろうって思っているし、そうしてきたと思う。結婚前に、子供は大人の身勝手な都合で振り回されているだけで、何にも罪がない。だから、彼らが不幸になるようなことだけは避けなければならないと思っていたけど、それは今も強く思ってる。それが、ときどき折れそうになる自分自身を奮い立たせる原動力になっていることは間違いない。

 

でもね、きちんと”家族”になるにはどうしても時間かかります。

 

自分の立ち位置がよくわからなくなる時はよくあるし、なんか、居候か?と思うこともあるし。あ、先ほどああ書いといてなんですが、向こうの両親には普段はとても良くしてくれています。ただ、息子が暴れてどうしようもない時とか、そんなときばかりに「父親がちゃんとやるべきだ」「幸せにすると約束したよな」と言われてもね、正直きついものがありますよ。落ち着いて話して、場を何とか落ち着けて、それでも大人がまだぐちゃぐちゃ言ってると、俺にやれと言っただろう。ぐちゃぐちゃ言わないで任せろや!何もできない奴は黙ってろ!!と思います。。。

 

なんか、話があっちにこっちに触れてしまいましたが、言いたかったことは、何か始めたいなと思っているという事。何か変えたいなと思っている事。

でも全然なにも始められない。なにも変えられない。明日の夜は仕事のことを考えてしまっているから、今のうちにもやもやした気持ちを吐き出してみようというおっさんの企みです。

 

まぁ、来週またのんびり考えよう。。。

いくら頑張ったからといって、結果がついて来るとは限らない

頑張ってます。

どうも、おっさんトモです。

 

そうです、頑張っています。

暇で楽な時間を過ごすくらいなら、常に課題と向き合っていたい。チームに必要とされたいし、みなを引っ張っていけるようになりたい。

舞い込んで来る仕事は受けたいし、受けたからにはできるだけいい状態でアウトプットしたい。

そうです、僕は欲張りです。

 

多くの仕事を抱えていると、全てがうまくいくわけではなく、うまくいかずにイライラする事もちょくちょくあります。

部下のものをフォローしているうちはまだいいのですが、自分のうまくいかないことをなんとかするには、だいたい周囲を巻き込むことになります。

 

まぁ、長い目で見れば、これも大したことではなくて、なんとかなってしまうのかもしれません。でも、今、目の前の問題をどう解決するか、どのように仕事を積み上げていくかで、10年後の自分がどうなっているか、大きく変わるように思います。

 

回らないなぁと思ってきたら何かを見直すときかもしれません。

業務管理、いちどちゃんと整理して見直そうかなぁ。

中途半端に理解してること、一度整理して理解しなおしてみようかなぁ。

 

そんなひとつひとつが、3ヶ月後、半年後、一年後の自分を成長させてくれるのかもしれませんね。

 

さて、明日からも頑張ろう。

ある時期を過ぎると、途端に下手くそになる。

どうも、おっさんトモです。

今日は余りに暇すぎるので、だらだらした文章を書いてみようと思います。

題名とは随分と外れた内容の話のように感じるかもしれません。支離滅裂かもしれません。

あまりポジティブな内容ではありません。予め、すみません。

 

久しぶりの3連休。やることがなさ過ぎて、幾らか参ってきています。

 

昼起きて、食事、簡単な買い物、夕飯、テレビ。すこしギターを触って、そして今に至ってる訳です。3連休だろうが、いつもの週末だろうが、やることはだいたい同じです。

 

f:id:tomoguitar:20180212014948j:image

 

内部が筒抜けな二世帯住宅で生活をするにはいくらか制約があり、昼食から夕食の準備までのおよそ3〜4時間程度が、家の外に出ることを許された時間です。(たぶん、僕が勝手に変な気を遣っているだけです)

その3〜4時間も、だいたい横須賀に住んでる人が日常の買い物に行くところをぐるぐる回って終わりです。

正直、このルーチンがとても苦痛です。

 

横須賀とは、実に閉鎖的な街です。

 

北は横浜、南は三浦、周囲は海です。三浦は横須賀の人間がとりたてて向かうような場所もないので、出掛ける場合は大抵北に向かうことになります。

横浜にでれば、少しは楽しめるスポットがあります。また、横浜より遠くに向かう際も、まずは横浜に出る必要があります。

しかしながら、横浜までは車で一時間程度、速いが売りの京急でも40分程度はかかります。この距離が、絶妙に遠い。この一時間とか40分とかを耐えなければ、横浜というトールゲートは越えられないのです。とくに僕のような環境だと、そもそも横浜に向かおうとなりません。そんなに自由な時間がありません。

これが、休日に横須賀から出にくくする一つめの要因。

 

上記のような土地柄のせいもあってか、横須賀という街は、横須賀にいればある程度のものは揃うようになっています。

スーパー、ホームセンター、中規模のショッピングモール、電器屋、自動車用品店、あらゆる生活に必要なものが、不自由のない程度に、横須賀という狭い地域に散りばめられています。

これが、休日に横須賀から出にくくする二つめの要因。

 

正直、横須賀は僕の人生で最も長く過ごしている場所なので、勝手もわかるし、不自由はないです。

ただ、横須賀にしがみつくつもりはないのに、横須賀にしがみついてる。これが、いまの僕です。それほど大きい街ではありません。毎週毎週、同じ店のローテーション。さすがに、十二分に飽きています。

 

一時期、元住吉に住んでいた頃は、東西南北、どの方角に向かうこともできました。つまり、毎週必ず北にしか向かわないなんてことは決してありませんでした。それどころか、同じ北でも、東横線、目黒線、武蔵小杉から南武線、湘南新宿ラインと、足を伸ばすための路線がいくらでもありました。街も、駅ごとに特徴があって、どこで降りても新鮮な印象を受けます。

いちど、奥沢という何もないと思っていた駅で降りた時、ランチでふらっと入った寿司屋がとても有名なお店だったということもありました。新しい発見が、そこらへんに落ちているわけです。

まぁ、ちょっと、元住吉とか武蔵小杉なんかは、便利すぎて極端かもしれませんが。

 

横須賀に戻ってきてから、横須賀の独特な地域性をとても強く感じるようになりました。

 

横須賀から出にくくする二つめの要因として挙げた通り、横須賀は大抵のものが不自由なく揃います。ただ、不必要なものに限っては、非常に少ないと感じます。

なぜならば、不必要なものを必要と感じる時、横須賀の誰しもがそれを横須賀には期待していないからです。

 

横須賀に美術館が建てられる際、多くの住民が反対しました。なぜならば、それは横須賀の人間が横須賀に求める事ではなかったからです。

それは、横須賀の人間にとっては不必要なもので、そんなものに税金をつぎ込むのはあり得ないという反応をよく耳にしました。

結果的に、現在の美術館は週末に多くの観光客を集め、近くの観音崎も賑わいを取り戻しつつあります。横浜横須賀道路が延長された影響もあってか、一時期よりも確実に他地域のナンバーの車が増えていると感じます。横須賀の住民にとっては不必要なものを、横須賀以外の方が求めて来るわけですね。

 

残念ながら、このように不必要なものを受け入れない横須賀の住民性は非常に根強く、横須賀という街を非常に退屈な、面白みのない街にしています。

 

別に横須賀や、横須賀の人の批判をしようと思ったわけではありません。限られた範囲の中で、大きな変化もなく、同じ暮らしを続けたいという人にはとてもいい街かもしれません。

あくまで私感ですが、たまに来るくらいならいいかもしれません。少なくとも永続的に住みたいと思うほどの魅力を、僕はこの街に感じません。

 

そもそも、なぜこのような話をしているかというと、とてつもなく暇だからです。不必要なもののない生活は、人生をものすごく退屈にさせます。

そのような生活に慣れていく自分は、不必要なものを犠牲にして義務を果たすことだけに重きをおく自分は、ものすごく退屈な人間になっていくのではないかと感じます。

 

一度は自分のアイデンティティの一つと思っていたピアノも、今はどのように弾いていたのかすら覚えていないほど下手くそです。

 

ある時期を過ぎると、途端に下手くそになる。