おっさんトモの、徒然日記

おっさんになった僕が、日常生活で感じていることや、身の回りの出来事、趣味のお話などをしていきます。

ある時期を過ぎると、途端に下手くそになる。

どうも、おっさんトモです。

今日は余りに暇すぎるので、だらだらした文章を書いてみようと思います。

題名とは随分と外れた内容の話のように感じるかもしれません。支離滅裂かもしれません。

あまりポジティブな内容ではありません。予め、すみません。

 

久しぶりの3連休。やることがなさ過ぎて、幾らか参ってきています。

 

昼起きて、食事、簡単な買い物、夕飯、テレビ。すこしギターを触って、そして今に至ってる訳です。3連休だろうが、いつもの週末だろうが、やることはだいたい同じです。

 

f:id:tomoguitar:20180212014948j:image

 

内部が筒抜けな二世帯住宅で生活をするにはいくらか制約があり、昼食から夕食の準備までのおよそ3〜4時間程度が、家の外に出ることを許された時間です。(たぶん、僕が勝手に変な気を遣っているだけです)

その3〜4時間も、だいたい横須賀に住んでる人が日常の買い物に行くところをぐるぐる回って終わりです。

正直、このルーチンがとても苦痛です。

 

横須賀とは、実に閉鎖的な街です。

 

北は横浜、南は三浦、周囲は海です。三浦は横須賀の人間がとりたてて向かうような場所もないので、出掛ける場合は大抵北に向かうことになります。

横浜にでれば、少しは楽しめるスポットがあります。また、横浜より遠くに向かう際も、まずは横浜に出る必要があります。

しかしながら、横浜までは車で一時間程度、速いが売りの京急でも40分程度はかかります。この距離が、絶妙に遠い。この一時間とか40分とかを耐えなければ、横浜というトールゲートは越えられないのです。とくに僕のような環境だと、そもそも横浜に向かおうとなりません。そんなに自由な時間がありません。

これが、休日に横須賀から出にくくする一つめの要因。

 

上記のような土地柄のせいもあってか、横須賀という街は、横須賀にいればある程度のものは揃うようになっています。

スーパー、ホームセンター、中規模のショッピングモール、電器屋、自動車用品店、あらゆる生活に必要なものが、不自由のない程度に、横須賀という狭い地域に散りばめられています。

これが、休日に横須賀から出にくくする二つめの要因。

 

正直、横須賀は僕の人生で最も長く過ごしている場所なので、勝手もわかるし、不自由はないです。

ただ、横須賀にしがみつくつもりはないのに、横須賀にしがみついてる。これが、いまの僕です。それほど大きい街ではありません。毎週毎週、同じ店のローテーション。さすがに、十二分に飽きています。

 

一時期、元住吉に住んでいた頃は、東西南北、どの方角に向かうこともできました。つまり、毎週必ず北にしか向かわないなんてことは決してありませんでした。それどころか、同じ北でも、東横線、目黒線、武蔵小杉から南武線、湘南新宿ラインと、足を伸ばすための路線がいくらでもありました。街も、駅ごとに特徴があって、どこで降りても新鮮な印象を受けます。

いちど、奥沢という何もないと思っていた駅で降りた時、ランチでふらっと入った寿司屋がとても有名なお店だったということもありました。新しい発見が、そこらへんに落ちているわけです。

まぁ、ちょっと、元住吉とか武蔵小杉なんかは、便利すぎて極端かもしれませんが。

 

横須賀に戻ってきてから、横須賀の独特な地域性をとても強く感じるようになりました。

 

横須賀から出にくくする二つめの要因として挙げた通り、横須賀は大抵のものが不自由なく揃います。ただ、不必要なものに限っては、非常に少ないと感じます。

なぜならば、不必要なものを必要と感じる時、横須賀の誰しもがそれを横須賀には期待していないからです。

 

横須賀に美術館が建てられる際、多くの住民が反対しました。なぜならば、それは横須賀の人間が横須賀に求める事ではなかったからです。

それは、横須賀の人間にとっては不必要なもので、そんなものに税金をつぎ込むのはあり得ないという反応をよく耳にしました。

結果的に、現在の美術館は週末に多くの観光客を集め、近くの観音崎も賑わいを取り戻しつつあります。横浜横須賀道路が延長された影響もあってか、一時期よりも確実に他地域のナンバーの車が増えていると感じます。横須賀の住民にとっては不必要なものを、横須賀以外の方が求めて来るわけですね。

 

残念ながら、このように不必要なものを受け入れない横須賀の住民性は非常に根強く、横須賀という街を非常に退屈な、面白みのない街にしています。

 

別に横須賀や、横須賀の人の批判をしようと思ったわけではありません。限られた範囲の中で、大きな変化もなく、同じ暮らしを続けたいという人にはとてもいい街かもしれません。

あくまで私感ですが、たまに来るくらいならいいかもしれません。少なくとも永続的に住みたいと思うほどの魅力を、僕はこの街に感じません。

 

そもそも、なぜこのような話をしているかというと、とてつもなく暇だからです。不必要なもののない生活は、人生をものすごく退屈にさせます。

そのような生活に慣れていく自分は、不必要なものを犠牲にして義務を果たすことだけに重きをおく自分は、ものすごく退屈な人間になっていくのではないかと感じます。

 

一度は自分のアイデンティティの一つと思っていたピアノも、今はどのように弾いていたのかすら覚えていないほど下手くそです。

 

ある時期を過ぎると、途端に下手くそになる。